私が高校生の時(40年以上前になる…)公民という教科の中に政治経済の授業があった。その授業で使った教科書の数行に政府の経済政策は、公定歩合操作(政策金利の調整)と金融の緩和、引き締めによる通貨量の調整で行うと書かれていた。私は優秀な学生ではなくむしろその逆だったが、政府の経済政策についてだけ興味があったので覚えている。
経済政策には、農業政策、工業政策、財政政策、金融政策などがあるが、私の理解が足りなかったのか、政治・経済の専門科目でなかったから詳しい説明が無かったのか、それにしても金融政策の記述しか記憶になく、え?それだけ?経済政策はこれだけなの?と思ったことがある。
その後、20歳を過ぎて社会人になってから更に驚いたのは、TVのニュースから流れる政治家の説明する経済政策は、その二つ(公定歩合操作と金融緩和操作)の手段について繰り返し言及するだけだったので、あの時に習った数行の内容と同じ??そんなに単純なの?とまたまたびっくりした!!ことを思い出す。
(当時の日本は、農業も工業もインフラも確かに今より新しかったし、それなりに十分だったからかもしれない。しかし、永遠に新しいわけでもないし社会問題もたくさんあった)
昔から世の中に経済学を研究している優秀な方々がたくさんおられるので、大して学んでもいない私が心配するまでもなく、日本を含む世界の経済はより良いものに発展していくのだろうと思っていた。(30歳の頃、未熟ながら私も自分の思う経済政策について自著にも少し書いている)
ところが、現在の状況である。日本の経済、世界の経済は曲がり角に来ている。
(今まではG7(仏、米、英、独、日、伊、カナダ)経済圏が世界経済をリードしてきたが、新しいBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国など)経済圏が台頭し規模を拡大している。今まで基軸通貨だった米ドルが、基軸通貨でなくなっていく可能性も内包している)
話が逸れた。経済政策において、なぜ財政政策でなく金融政策が優先なのか、という理由については今年になって突如として理解するに至った。(私がただ知らなかった)
残念ながら今の日本経済は、今まで世界を牛耳ってきたリーダーの思惑の中で転がされてきた結果なのだ。日本国が盤石な経済力を持つことで、大手を振って世界の先頭を歩かないように国力を削がれてきた結果なのだとやっと分かった。
金融政策優先で産業基盤構築をないがしろにしてきたから、経済が弱体化しているのだ。
インフレターッゲット2%を目標として政策を行っているらしいが、それは数字の上の話であって、現状で物価だけ上がっても生活は苦しいだけだ。
世界ではインフレがかなり進んでいる国もあるようだ。
どこの国であってもインフレの原因は、単純に供給(力)の不足だ。第一次産業と第二次産業に力を入れて供給を増やせばインフレは解消し経済は潤う。(人手が足りない部分は機械化すれば良いし、過度なデフレが起これば、その時に対策を考えればいいと思う)
国債発行による資金調達については賛成派なので改めて言及すると、経済産業の基盤がしっかり構築された上で行われれば過度なインフレにはならないが、単純に国債発行、あるいは金融緩和で資金量を増やしても、供給が足りなければインフレが起こるということは、初歩的な経済の知識で十分に分かることだと思う。
昨今の日本は、自給率のために重要な第一次産業(食を支える農業、漁業、森林を保護する林業)、第二次産業(鉱業、製造業、建築業)についての破壊が痛ましいほどだ。その力を早急に国内に取り戻す必要があると思う。
第三次産業(商業、金融業、医療福祉、教育、情報通信、外食産業などのサービス業)については守られてきたが、その重要な分野においては更に外国資本が多く入り込もうとしているようで心配だ。(誰のために働くのか)
財政政策によって供給を安定化させる産業基盤を構築し育成すればほとんどの経済問題は解消される。それを行うために政治家が国民から選ばれているのではないのか。利権で自分たちだけが潤うのではなく国民にも社会面、経済面で豊かさを実感させてもらいたい。
最近、強く違和感を感じるのは、選挙で選ばれた政治家でない日銀の総裁が、日本の重要な経済政策においての中心的存在となっていることである。
日本銀行法に通貨と金融の調節における自主性は尊重されなければならないとあるが、それは財政政策を実施した後の経済において、金融のダブつきや枯渇を調整すれば良いだけの話であって、金融政策が先にあるという経済政策は順番が逆であると思う。これは、日本の経済がコントロールされていることの象徴なのかもしれない。総理大臣という肩書きより日銀総裁の肩書きの方が力があるように見える。
日本国民は、世界の人たちと共に豊かになることを望んでいる。人口をコントロールして、選ばれた人、たくさんお金を持つ人だけが豊かに暮らせる世界ではなく、社会を支えるために勤勉に働らいている人たちにとっても豊かに暮らせる社会の仕組み作りが望まれる。
日本の政治が日本国民から税金を絞り取って目先の数字を合わせるために行なわれるのではなく、日本国民が末永く豊かに暮らせるように政治を行ってほしい。数字を合わせることに実際の価値はない。数字を合わせたところで飢えも病気もなくならない。そこにあるのは独善的な操作としか思えない。
R5.10.7
*現在の金融政策は1996年の金利の自由化により、公開市場操作によって行われているそうです。公定歩合操作や預金準備率操作は、現在行われていないそうです。しかし、通貨量を調整するのは日銀の役目であり、金融政策のあり方は変わっていないようです。
公定歩合操作は、2006年から基準割引率および基準貸付利率に名称が変更されました。(YouTube miniいけ先生の倫政チャンネル、参考)
*なにしろかなり古い記憶なので、間違いがあるかもしれません。
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